
9月中旬に帰省した際、念願だった愛媛県南宇和郡愛南町に在る「紫電改展示館」に行ってきました。
私の地元、愛媛県松山市に在る現在の松山空港は、元々広島湾と呉軍港を守る為に作られた旧海軍の飛行場でした。
そして先の大戦末期の事、そこに「第343海軍航空隊」という有名な部隊が配置され、その航空隊が主力に使用したのが上記画像の「紫電改」という戦闘機でした。
「第343海軍航空隊」や「紫電改」の詳細は →
コチラへこの画像の紫電改は、現在の日本に唯1機のみ現存する貴重な機体というだけでなく、壮絶なドラマを持った機体でもあります。
(※アメリカには、接収した紫電改がピカピカの状態で3機有ります…)

昭和20年7月24日。
8/15の玉音放送まで数週間に迫ったこの日、アメリカ海軍の艦載機200機が呉軍港に襲い掛かりました。
343航空隊は僅か20機で長崎の大村基地から迎撃。
著名なエースパイロットを含む6名が未帰還となりました…

そしてこの機体は、何とその日未帰還となった6機の内の1機で、昭和53年に潜水中のダイバーに偶然発見され、昭和54年に引き上げられたのでした。
(※航空隊の細かい戦闘記録と墜落ポイントから、7月24日の戦闘で失われた機体だと分かったそうです…)
だから画像の紫電改はボロボロなのです。
当時をそのまま伝える為に、敢えて無理な復元はしなかったそうです。
(※復元は紫電改を開発した川西航空機、現在の新明和工業が行いました。)
着水した際に、海面に打たれて曲がったプロペラが生々しいです…

機内に遺骨や遺品は無く、誰が乗っていた機体なのかは今現在も不明です。
あの日亡くなった6名、皆の遺品という扱いで永久保存されています。
私には、勇敢な6名のパイロットの墓標のように思えますね。
美しい瀬戸内の青い海と空が、かつては血と炎と涙で染まった戦場であったとは…
今ではとても想像出来ません…
バイクなら、福岡から日帰りで見て帰る事も十分可能な距離だと思います。
大分の佐賀関から、1時間で愛媛県に着くフェリーが出ていますよ。
興味の有る方は是非。

安宅